鶴富屋敷

さて、2日目スタート。

ピッキー:今日の予定はどんな感じ?
Pi-子:ええと、今日は日本三大秘境と言われている椎葉村を通って、夕方には高千穂に到着する予定。
こなつ:今日も酷道を行くの?
Pi-子:さ…さぁ?ともかく国道265線沿いにまっすぐ行けば着く感じ。
ピッキー:(マップを見ながら)まっすぐって…すごいクネクネ曲がった山道じゃねぇか!?勘弁してくれよ!

こなつ:私も勘弁して欲しい。
Pi-子:椎葉村に行くのなんて、多かれ少なかれみんな酷道だよっ!だから秘境なんじゃん!ここに行けば、日本三大秘境を征服だ、さぁ、行くぞ!
日本三大秘境とは白川郷(岐阜県)、祖谷山村(徳島県)、椎葉村(宮崎県)と言われています。
岐阜編(白川郷)参照) (四国編(祖谷)参照)

ピッキー:いや、しかし、ちょっと酷道慣れしてきたのか、(運転に)ちょっと余裕も出てきたな。
Pi-子:よかった、その調子で行ってくれ。
こなつ:私は全然余裕ないけど。
ピッキー:こなつさんも運転してみればいいんじゃないか?
Pi-子:そうだよ、自分で運転した方が酔わないっていうし。
こなつ:こんな体調でこんな道の運転なんて無理…
椎葉村までは約1時間半…がんばってくれ。

西米良村を出る頃には対向車線もなくなり、再び一車線の林道のような道路に。
さらに山に入っていくにつれ、部分的に路肩の陥没、落石、ガードレール(一部に破損があったりしている)はあるけれど、ここ落ちたら死ぬよね?的な緊張感満載な道が続く。

でもね…

ピッキー:すごい景色いいよ〜。車止められる場所があんまりないことが残念だけど。
Pi-子:本当、本当。そこの沢なんかすごい いい感じじゃない?
ピッキー:うん、あ、そこちょっとだけ車止められそうだから行ってみようか。
沢のほとりにゴロゴロ苔むした岩が転がっているのは「もののけ姫」の「苔むす森」みたい。


「木霊(こだま)」がいそう
酷道(国道)沿いのきれいな沢


ピッキー:こなつさんは?
Pi-子:声かけたけど、ぐっすり寝てるみたいだからそのまま(車の中)にしておいた。起こすのもかわいそうだし。

酷道で疲れた心を若干潤し、再び出発。
くねくね&アップダウンが続く山道を走り、「飯干峠」と書かれたちょっと開けた場所に到着。
ここまで来れば椎葉村までもう少し。

飯干峠 「ひえつき」とは稗(穀物)を搗(つ)くという意味国道(酷道)は続くよ…

椎葉村は四方を深い山に囲まれ、急傾斜地のため、水田を作ることができず、粟(あわ)や稗(ひえ)などを常食としていた土地。
・・・なんでそんな不便な場所に人々が住み着いたのかというのは、また後ほど。

この辺りで歌い継がれている「ひえつき節」は稗を搗く時に歌われたという労働歌なんだそうです。
毎年秋には「ひえつき節日本一大会」が開かれるそうですが…(「日本一」といっても日本全国で歌われているわけではない。)

なんとか酷道を越えて、無事に椎葉村に到着。
こなつちゃんは無事…? という状態だけど、まぁ、命に関わるワケじゃあなさそうなのでよしとしよう。

上椎葉ダムダムによってできた人口湖

椎葉村といえば平家落人伝説。


平家落人伝説 那須大八と鶴富姫

「壇ノ浦の戦い」に敗れ、滅亡した平家。
平家の一門及びその郎党、平家方に加担した者たちは源氏からの追撃を避ける為、僻地に逃れたのでした。
椎葉村まで逃れた平家の一行は「ここまで来れば大丈夫だろう」と思っていたのですが、ここに追手として「屋島の戦い」で名を挙げた弓の名手・那須与一の弟、大八郎が派遣されてきます。
しかし椎葉村もたどりついた大八郎が見たものは、農民として健気に生きる平家の残党の姿。
大八郎は追討を断念し、幕府には「残党は1人残らず討ち果たした」と偽りの報告をして、この地で彼らの生活を助けながら暮らすことに決めたのでした。

そして、大八郎は平家の娘(平清盛の孫という説もあり)鶴富姫と出会い恋をします。
しかし、彼らは源氏と平家…いわば、ロミオとジュリエット

やはり、幸せな日々は長く続きませんでした。(お約束)

ある日、大八郎に幕府からの帰還命令がおりたのです。
そのとき、鶴富姫のお腹の中には大八郎の子が…
大八郎は幕府の命に従い、都へ戻ってしまいましたが、鶴富姫は生まれてきた娘に「那須」の姓を名乗らせ、その子が成長すると婿を取ったといいます。


Pi-子:で、ここがその伝説の鶴富姫のお屋敷「鶴富屋敷」

鶴富屋敷(那須家住宅)デイ(客間)

家の長さは、25.09m、奥行き8.64m、平地が少ない椎葉独特の横に長い住宅は「那須家住宅」として国の重要文化財に指定されています。
今の建物はおそらく江戸後期に建てられたものと言われています。
さすがに鎌倉前期の建物のわけないよねぇ、ヨーロッパみたいに石造りならともかく、木造だもんね。

鶴富屋敷を見終わると、お隣にある厳島神社へ。
厳島神社といえば、広島にある海の中の大鳥居が有名なのに、どうしてこんな山の中に?

…というのも、厳島神社は平清盛が平家の氏神として厚く庇護し、現在の様な美しい社殿を造営したのです。
一説によると、平家の人々の姿を深く哀れんだ大八郎が平家の守護神である厳島神社を建立したものとされています。

源氏側の大八郎からすると敵である平家の守護神を…どんだけイイ人なんだ。

鶴富屋敷から厳島神社に続く橋椎葉厳島神社

広島の厳島神社と比べるとだいぶ小さいけれども、朱塗りの建物は劣らず美しい。(広島・萩編参照)
さらにそのお隣にある椎葉民俗芸能博物館で椎葉村に受け継がれてきた儀礼、慣習、民俗文化や平家落人伝説などを写真や民具、祭礼具等などを見学すると時間はぼちぼちお昼。

ピッキー:腹減ったな。
Pi-子:そうだね、もうお昼だしね。
こなつ:この辺はお蕎麦が名物らしいよ。

以前訪れた祖谷もお蕎麦が名物なので「平家の皆さんはお蕎麦が好きだったのかな?」なんて脳天気なこと考えてたけど、実際のところ源氏の追手に見つからないよう隠れ住んでいたので、 平地ではなく急傾斜地と水田をつくるには条件の悪い場所に住まざるを得ない。
一方、ソバは乾燥した土地でも容易に生育し、朝・晩の寒暖の差がある冷涼な気候の方が風味豊かで美味しくなるため、山間地での栽培が適している。
それが祖谷でも椎葉でもソバが作られた所以であろう。

椎葉村で生産されている蕎麦は、日本古来の在来種で粒が小さいけれど、香り高く粘りが強いのが特徴なんだそうで、非常にわずかな量(年間年間2〜3トン)しか穫れず、村外に出回ることはほとんどないということ。
これは食べておかなければ!

「付近のお食事処」を検索すると「鶴富屋敷」がヒット!
先ほどお邪魔した歴史的重要文化財で食事ができるの?
と思って行ってみたら、先ほどの古い家の横に新しい家があり、お食事はそちらだということでした。
そりゃ、国の重要文化財で食事をするんて恐れ多いもんねぇ。

こちらの鶴富屋敷(お食事が出来る方)は前述の大八郎と鶴富姫の子孫である那須家32代目の当主が経営しており、旅館業も営んでいるそうです。

大八郎と鶴富姫の末裔が経営する旅館(食事もできます)手打ちそば(椎葉そば)

祖谷のそばは麺の長さが通常のものより短めだったけど、これは長さも太さも普通のサイズ。
モチモチの弾力性のあるそば、柚子の香りがふんわりと感じられる汁(つゆ)で爽やかさアップ。
稀少な椎葉そば、おいしくいただきました。

食事をした後は鶴富屋敷から車で20分ぐらい移動し、十根川(とねがわ)地区へ。
この辺は標高550mの山の中、傾斜地に貼りつくように形成された集落があります。
「椎葉型」と呼ばれる石垣で造成した塀と通路、主屋と馬屋が一列に並んだ構えになっています。
1998年(平成10年)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。

駐車場から緩い坂道をのぼっていくと十根川住宅と道路を挟んだ向かいに十根川神社が見えてきた。


十根川地区
ゆる〜い坂道、本当にゆる〜い・・・はずなんだが…



「椎葉型」と言われるの独特な建築様式と家々を囲む石垣
十根川神社
道路から十根川を見ると、まるで棚田に家が建っているようだ。
本来、家って平地に建てるんだろうけど、追手から逃れて隠れ住むために、わざわざ敷地巾の少ない段丘に場所に家を建てたのだろうな…と思うとなんか切ないけど、周囲の山林と石垣に囲まれた家の景観は美しい。

重要伝統的建造物群保存地区に選定された1998年(平成10年)の時点で11世帯の小さな集落ということだったけど、今ではどのぐらいの人がお住まいなんだろうか?
ちなみに住民は「椎葉さん」あるいは「那須さん」のどちらかなんだそうです。

写真を撮っていると、ピッキーの姿が見えてきたが…
Pi-子:あれ?こなつちゃんは?
ピッキー:知らない。Pi-子と一緒だと思ってたけど?

Pi-子:車降りてからピッキーの後ろ歩いてたじゃん?
ピッキー:オレ、写真を撮りながら歩いてたから、てっきり途中で抜かしたと思ってたんだけど。


携帯を見るが「圏外」の2文字。
さすが秘境、さすがソ○バン…つながるわけないか。
ともかく日向にいると溶けそうなぐらい暑いので(溶けてほしい部分は溶けてくれないが)神社の中へ退避。
駐車場からは迷うことがない一本道だし、大丈夫でしょ。

道路から見ると、普通の神社みたいだったけど、鳥居をくぐって境内に入ると空気が変わったことを感じる。
神域だからなのか、それとも樹々に囲まれたマイナスイオンの効果なのか、それは分からないが、樹々といってもどれも巨木。

多数の巨木が所狭しと並んでいる中で1本だけ大八郎が手植えをしたという杉「八村杉」があるという。
そもそもこの場所は平家討伐のため、はるばるここまでやってきた大八郎が最初に陣を築いたという所。
その時に椎の葉で陣屋を造ったことから「椎葉」という地名になったんだとか。

大八郎が植えたとしたら、推定約800年前。
境内でご立派な杉を見つけては「八村杉」だと思い写真をとるが、木には「スギ」という文字しか見つからず、数本「ただの杉(かなりの巨木)」の写真を撮ってから、ようやく本殿(推定)の近くに八村杉を発見。


十根川神社の社殿
八村杉
「八村杉」を見つけた達成感をひしひしと感じていたが…
ピッキー:こなつさん来ないね?途中で来るんじゃないかと思ってたけど。
あ…すっかり忘れてた。(^_^;

急いで坂道を降りて行くと、途中の木陰でこなつちゃんが座りこんでいる姿が見えた。
(炎天下倒れてなくてよかった)

こなつ:ひどいよ〜、こんな炎天下、坂道上るのなんて無理!!!
…とはいえ、それほどの急勾配でもないし、こなつちゃんがいる位置って駐車場から十歩ぐらいしかなんだけど…?
前から体力はなかったが、輪をかけて弱体化してないかい? ;^_^A

とりあえず、歩ける状態ではあったので、車まで戻りエアコン全開にしながら出発!

Pi-子:十根川住宅、1件ぐらいカフェでもあれば休めてよかったのにね、今 古民家を改装したカフェって流行ってるじゃん。
ピッキー:いや〜、でもここまで来る道が過酷過ぎだよ…この酷道いつまで続くんだ?

Pi-子:椎葉村を過ぎると道がきれいになる…らしい。
ピッキー:半信半疑。


しかし、国道(酷道)265線を北上し、2777mにも及ぶという長い長いトンネル、国見トンネルを抜けると今までの酷道が「ウソ?」というぐらいのきれいな2車線道路となっていた。
まさにここが町の境目、トンネルから北側は五ヶ瀬町となる。
トンネルが出来る前、国見峠は崩落、落石多発の難所であったらしい。
さぞかし工事もたいへんだったと思います。m(_ _)m

(Pi-子)



(お役立ちリンク)

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