ヴァレッタ・1(Valetta)


騎士団長の宮殿 鎧が並ぶ廊下

3日目 AM6:00起床
時差ぼけのせいかPM9:00には寝てしまっているマルタでの生活。
おかげで寝覚めも快調、でも天気は不調。今日もあいにくの曇り空。

ピッキー:雨は降っていないようなのでこのままもってくれればよいんだけどね。雷雨はやめてほしい。
Pi-子:大丈夫じゃん。昨日の夜、雷雨だったみたいだから。
ピッキー:え、ウソ?全然気づかなかったよ。何時ぐらい?
Pi-子:私がうとうとしてた頃だから11時ぐらいかな?気がつかなかったの?鈍感だなぁ

普段は地震がきたって起きないくせに何を言ってるんだ!?

今日の予定は要塞都市&世界遺産のヴァレッタ街へ、いざ出陣!
ヴァレッタという名は大包囲戦で総指揮をとった伝説的英雄&カリスマ騎士団長、ジャン・パリゾ・デ・ラ・ヴァレッタからとったもので、 町の礎を築いた人物だが、完成を見ることなく世を去ったそうだ。
シベラン半島全体をぐるりと城壁で囲まれまさに要塞である。

途中ちょっとした渋滞にもあり、バスで30分ほどでマルタに到着した。
ヴァレッタ入り口にはシティゲートと呼ばれる門があり、まわりには市場というか露天っぽいお店などが賑わいを見せている。
またゲート前の手前にある大きなバスロータリーはバスターミナルになっており、有名なマルタバスの基点となっている。
各国からのお古(日本、イギリスが多いらしい)のバスが鮮やかな黄色にカラーリングされて蘇り元気いっぱいマルタの町を走り回る。
その姿はそれだけで観光名物であり、世界のバスマニアの聖地となっているらしい。
数は少ないが某映画の猫バスのモデルと言われるボンネットバスですらいまだ健在なのだ。
製造年代も車種もまちまちで、同じモデルのバスに乗ることが難しいくらいである。

シティーゲートを抜けるとメインストリートであるリパブリック通りに出る。
市内の道は碁盤の目状に左右上下、まっすぐにのびており、ここから先端のセントエルモ砦までまっすぐに道が続く。

ゲートをくぐってすぐ左手にアーチ状の連なる古い建物の残骸が見えるけど、これは?
ジュリ:単なる取り壊し途中のボロい建物だな〜って感じですけど、これはオペラハウスの跡です。第二次世界大戦の時、 イギリスの植民地であったマルタはイタリアとドイツから激しい空襲を受けたんですね。マルタには大きな造船所もあったし。 戦争が終わったとき、再建する計画もあったみたいですけど、オペラハウスよりも人が住むところを再建する方が先だっていうんで 後回しになったのがそのままみたいで、今では戦争の記念として残ってます。
確かにジュリさんの説明がなければ取り壊し忘れかと思う代物。(^_^;A

しばらくリパブリック通りを真っ直ぐに進む。
首都とはいえコンクリートの近代的なデザインの建築物・高層ビルがないので遺跡か某テーマパークのように見えるものばかりなのだ。
日本で言えば武家屋敷が並んでいるといったところか?

さらにストリートを進むと両側に商店がならぶが、どっかの地方都市の街の商店街といった感じ。
行ったことはないが、同じヨーロッパでもOLやらおばちゃんやらが行列を作るブランドショップなんてもんはない。
中には"1マルタリラショップ"みたいなお店もあった(イギリスにも"1ポンドショップ"がありました。by Pi-子)

騎士団長の宮殿 外観
さらに真っ直ぐ進むと騎士団長の宮殿(The Grandmaster's Palace)に到着。
ジュリ:は〜い、皆さん、全員来てますか?はぐれちゃってません?この建物は「騎士団長の宮殿」です。 文字通り代々の聖ヨハネ騎士団の騎士団長が住んでいた宮殿です。現在は大統領府と議会が置かれているので正面からは入れません。 こっちから入場しますよ!
正面玄関には目つきの悪いSPもどきが数名おり、一般観光の我々は裏口へとまわった。

裏口はいかにも「観光さんいらっしゃ〜い」といった雰囲気で1Fは兵器庫、2Fの5部屋ほどが一般観光客向けに開放されている。
階段をあがると広い廊下があり、床は色大理石で彩られ、両側には騎士団の鎧が並んでいた。

ピッキー:いかにもヨーロッパ的な宮殿だね…といってもここ以外にヨーロッパの宮殿へ行ったことないけど。
Pi-子:ベルサイユとかノイシュバンシュタインみたいな派手さはないけど鎧が勢ぞろいしているのはいかにも"騎士団長の"宮殿という感じでいいね。もっとも、ここ、夜になってから 1人で歩きたくないけど…

今回のツアー客は旅行のベテランが多く(同時に人生のベテランでもある)口々にヨーロッパの他国の宮殿と比較されている方が多かった。

通路の左側には大会議室がある。
騎士団長の玉座があった部屋であり、時には舞踏会もここで開かれたらしい。
現在も大統領主催の晩餐会、新年のコンサートに利用されているとのこと。
また、この部屋の見所は四方の壁の上部に「大包囲戦」の場面が描かれている。

次、大会議室の隣(だったと思う)にある会議室。
別名「タペストリーの間」と言われている通り、中世フランスから送られたゴブラン織りのタペストリーが素晴らしい。
アフリカと南アメリカへ行った時に描いた画家の絵が原画となっており、象だのシマウマだの南の動物・植物・現地人が描かれている。
外見の美しさもさることながら学術的にも貴重なもので、ヨーロッパ大陸から地中海を渡ってくる途中、海賊に襲われたり、汚れたりせず完全な状態で保存されているのはとにかく珍しいそうだ。

廊下のつきあたり、左側に仕切りがあり、やはり目つきの悪いSPもどきが立っている。
この先には議会場と大統領執務室があり、この時在館中だったらしい。
観光名所とはフラッシュ禁止かつ静粛な見学が求められている。

大使の間
しきりの反対側の奥へ進むと給仕の間に行き着く。
給仕の間とか騎士見習いの間とかいろいろ呼び方はあるようで、昔は12〜18歳の若者がここに詰めて、騎士たちの使いぱしりをしていたそうだ。
でも、ぱしりの詰め所にしてはずいぶん豪華な部屋でないかい?
四方の壁には歴代騎士団長&ヨーロッパの王族のポートレート、上部には聖ヨハネ騎士団の初期のエピソードが描かれたフレスコ画が見られる。

給仕の間に続く大使の間。
鮮やかな紅の壁紙ときらびやかなシャンデリアが眩し〜(>_<)

ジュリ:そのシャンデリアね〜、前は大したきれいじゃなかったんですよ。去年の秋にエリザベス女王がマルタに来て、 その後からものすごくきれいになりました。お掃除したんでしょうね。
観光地なんだから定期的に掃除しときゃいいのに。

大使の間という名の通り、昔から外国の大使などお客様をもてなした部屋で、それは今でも続いているそうな。
ジュリさんの言ったとおり、去年はエリザベス女王、以前はローマ法王もここで迎えたことがあるとのこと。

ジュリ:次はアッパー・バラッカ・ガーデンへ行きます。このまま歩いて行きますから、ちゃんと着いてきてくださいね。
ジュリさんの後をぞろぞろ着いていく。

途中、アフリカ系と思われる黒人の若者がたむろしていたが、別に何をしてくるわけでもないので通り過ぎたのだが
同じツアーのおじさん:この間TVで「マルタの不法移民問題」って放送してたよ。アフリカからの不法移民が多いんだってね。
ジュリ:そうそう、日本にいる母親から電話かかってきて心配されちゃいましたよ。別にスラム化しているわけじゃないし、 治安が悪くなってるわけでもないのに…そういえば、皆さん、マルタに乞食っていないでしょう。見ました?

全員首を横に振る。

ジュリ:いないはずです。国が認めてない。観光が主要産業だから、という理由もあり、彼らには住み場所・着る物・ 食べ物が与えられます。でもそれだけじゃない。今の男の子たち何してました?携帯電話で話しをしてたでしょう。携帯電話もインターネット カフェで国にいる家族と連絡するためのお金も国が出しているんです。そしてそのお金は私たちが働いて稼いだお金から出る税金です。
ふむふむ、全員ジュリさんの言う事に耳を傾ける。

ジュリ:だったら不法移民なんて入れなきゃいいじゃないか、って思いますよね。でもマルタはカトリックの国、求めて来た者を拒否するのは教義に反することです。 そして移民はどんどん増えていて、お金もどんどんかかって、税金がどんどん高くなって…けど、私たちのお給料はそのまま。怒っている人も多いですが、彼らにお金あげないと 治安が悪くなるでしょう。政府も国民もこの問題には悩まされています。
宗教上全ての人民は神の名の下に保護される(といっても実際には政府が保護)
おじさんが見たTVの特集ではそれをいいことに労働しない人も増えているそうで国の財政を圧迫しているそうだ。(ジュリさん同意していた)
まともに働いている人からみれば面白くないのは当然で、日本もニートが問題になっているが、宗教の問題があるだけ日本よりも厄介そうだ。

話は再び観光へ。
ジュリ:アッパー・バラッカ・ガーデンに着きました。ここは"イタリアの見はらし台"とも呼ばれ、イタリア出身の 騎士団員の休憩の場だったんですね。
アッパー・バラッカ・ガーデンからの風景は壮大の一言。
グランドハーバーが一望でき、初日に見たスリーシティーズを対岸に見ることができる。
すごく眺めがよいのだが…つくづく曇天がくやまれる。

アッパー・バラッカ・ガーデン ある意味すごい車

アッパー・バラッカ・ガーデンを出たところにすごい車が停まっていた。
Pi-子:マルタってすっごい年代物の車が多いな〜って思ってたけど、これは輪をかけてすごいね。動くのかな?
ピッキー:う〜ん、ちゃんと捨ててあるわけではないだろうから…動くんじゃないか?
Pi-子:しかし、この塗装。元の色は何色?って感じなんだけど。


車といえば日本車が人気。
こちらではトヨタのパプリカ、ニッサン70年代のセドリックなど古い日本車があたりまえのように走っている。
イギリスの植民地だったので、右ハンドル、車は左側通行、日本の車がそのまま使えるという事、あとやはり品質の高さが評価されているようだ。
とはいえ新車は高嶺の花のようでもっぱら中古だそうである。

風が強く埃っぽいマルタではマメに洗車する人は少なく道も悪いので車にとってあんまりいい環境ではない。
それでもろくにメンテもしてない(と思われる)車が平気で走っているのだから日本車の品質は確かにたいしたものだ。
しかし数年で新車に入れ替わる日本の消費社会を考えさせられる。

こちらでは車は趣味ではなく実用のみの存在価値となっているようだがたまにドレスアップしている車も見受けられた。
やはり凝り性というかマニアもいるんだろう。

その後、聖ヨハネ大聖堂を見学。
ジュリ:マルタ騎士団の守護聖人ヨハネに捧げられた修道院教会として建てられ、1816年に大聖堂となりました。 写真は撮ってもいいですけど、フラッシュは絶対にやめてください。フラッシュをたくと係の人がものすごい勢いで飛んできますよ。
ここでの見学は超静粛にすること!…とジュリさんより徹底するように指示があった。
後ろに背負うバッグ、リュック類は全て前に抱えて持つ。

外は普通に質素な建物なのだが、中は絢爛豪華。
さすがに騎士団の富を結集させたというだけのことはある。

イムディーナ大聖堂もすごいと思ったけど、それよりさらに壮大だ。
床一面、400個に及ぶという騎士団員たちの大理石の墓石。
ラピスラズリとこれまた高価な大理石、それに金銀で飾られた祭壇。

側面の礼拝堂は言語によるグループ(フランス、イタリア、イングランド、ドイツ、アラゴン、カスティーリャ、オーベルニュ、プロバンス)ごとに分かれており、 各国のスタイルでお祈りがささげられるように配慮されているのが印象的である。

自分もそうだがいまどきの一般的な日本人は宗教とそれほど深い結びつきはなく、せいぜい冠婚葬祭の時くらいだろう。
しかしこちらは有史以来イエス様中心に生活が回っているし、命をかけて自分の宗教を崇拝する。
そのことを考えると伝統の重さに圧倒されるしいやでも宗教とはなんぞやと考えさせられることとなった。

大聖堂には博物館も併設されており、画家カラヴァッジョの有名な絵「聖ヨハネの斬首」他、宗教画、歴代の騎士団長から寄与されたタペストリー、 他にも宗教儀式で用いられる衣装・道具も展示されている。
時間がある方は行ってみてはいかがだろう。

ジュリ:ん〜、観光ちょっと早く終わっちゃいましたね。お昼までにはちょっと時間があるので30分ほどフリータイムにしましょう。
しかし30分とは中途半端な時間だな。どこかへ行くには短いし、この辺土地カンがないからどこへ行っていいか分からないし。
特にすることもないので、近くの通りをぷらぷらすることにした。

Pi-子:わ〜、でっかいよ、このカリフラワー!
雰囲気よさげな路地を歩いていたら露天の八百屋に遭遇した。
品種が違うのか、栄養がいいのか、理由は分からないがカリフラワーもピーマンも日本のよりもビッグサイズ
かぼちゃなどPi-子のケツと同じぐらいで…

シュッ (p−−)=O=O))@o@)/ ボカッ


その後、大聖堂近くのショップでランチタイムとなった。
野口さん(娘):午後、どこへ行くか決めました?
曽根さん:私は考古学博物館へ。マルタの巨石神殿からの発掘品が集まってるんですよ。
矢田さん(娘):私たちは適当に買い物でもして、帰りはヴァレッタからスリーマ行きの船でプチクルーズしようかなって思ってるんですよ。

スリーマはヴァレッタより北東の海沿いにある町で住宅街になっている。
我々のホテルがあるセント・ジュリアンの手前にある。
Pi-子:スリーマまでフェリーで行って、そこからバスでホテルまで帰るのもいいですね。
Pi-子が勝手に午後のプランを決めていたが…それも悪くないか。

ピッキー:フェリーは帰りだろ。他にどこ行く決めてる?
Pi-子:だいたい決めてる 私が見たいのはセントエルモ砦、あとは騎士団の医療施設跡かな、時間次第だけど国立美術館へも行ってみたい。ピッキーは?
ピッキー:戦争博物館くらいだな


こうして食事を終えた者から随時解散、自由行動なった。

(ピッキー)