樫野崎岬・橋杭岩


橋杭岩 朝焼け

車に戻って、さて次はどこに?
マコ:ここまで来たら紀伊大島にも行ってみたいな。
Pi-子隊長:そしたら「樫野崎灯台」と「トルコ記念館」でも行ってみる?
大将:島行くのか?フェリーか?
マコ:いや、橋がかかってるから車で行けるよ。


思い立ったら出発!

紀伊大島は、串本町の沖合い約1.8kmの海上に浮かぶ 面積およそ9.68km2、周囲28km、和歌山県の最大の島である。
ループ状になった「くしもと大橋」を通って樫野崎灯台へ。

駐車場に車を止め、灯台までは徒歩で約5分。
その間の道にはトルコのお土産屋さん、アイスクリーム屋さん、トルコ記念館…などトルコがいっぱい。

まる子:なんでトルコなんだろうね。
Pi-子隊長:明治かな、大正かな?ま、そのぐらいの時にトルコの船が遭難して、それを住民が助けたっていう話があるからじゃない?
ピッキー:あ〜、聞いたことある。それでイランイラク戦争の時、テヘランに残ってる日本人を救出する為にトルコが飛行機出してくれたっていうんだろ。
大将:ふ〜ん、そうなんだ。



トルコ記念館
トルコ軍艦・エルトゥールル号遭難慰霊碑


1890年(明治23年)9月16日、オスマントルコの使節団を乗せたエルトゥールル号が嵐の中、大島樫野崎の沖合で遭難し、乗組員656名のうち587名が還らぬ人となったそうです。

大将:なんか、かっこいいな、馬に乗った像
マコ:夕日がいい演出になってるよね。
まる子:この人誰?トルコの人?(像の説明書きを見ながら)ムスタファ・ケマル・アタチュルク?
Pi-子隊長:トルコの英雄で、初代大統領。
マコ:詳しいね。
Pi-子隊長:トルコ行ったことあるからね。


樫野崎灯台アタチュルク像

アタチュルク像からさらに歩いて行くと、樫野崎灯台へ到着。

潮岬灯台と同様、江戸条約によって建設されました。
1870年(明治3年)に初点灯した日本最初の石造灯台であり、回転式閃光灯台。

条約によって8基建てられた灯台のうち2基が串本町にあるんだ。
この辺は航海の難所だったんですね。

灯台は崖の上にあって、周りはゴツゴツした岩が見える。
これは「魔の船甲羅」と呼ばれ、昔から航海者にとって恐れられていた岩礁だったそうです。

高さ約60mの断崖絶壁と魔の船甲羅たぬき!?

日が傾いてきたので、ぼちぼち撤収。
大将:夕飯どうするんだ?そば屋はもう閉店だろ。
ピッキー:今、検索中。おっ、付近に伊勢エビラーメン発見!
マコ:食いて〜
ピッキー:…あ、営業時間17時までだって。
大将:残念!


結局、夕飯をどうするか決まらないまま、駐車場に到着。
駐車場近くに「Cafe La lapin カフェ・ラパン」というカフェレストランを発見。

マコ:カフェ?ケバブライスとかあるんだ、トルコ料理かな?ここにする?
Pi-子隊長:カフェだとしたら営業時間そんなに遅くやってないかもよ。
まる子:何時までやってるか聞いてみようか。


営業時間は21時までということだったので、本日の夕飯はこちらでいただくことにした。

マコ:ケバブライス!
マスター:すみません、昼間予想外に出てしまって品切れなんです。
マコ:残念。じゃあ違う物を…
Pi-子隊長:私、オムライスにしようかな。


それぞれオーダーを済ませ、まったり、店内は真ん中に6人掛けの大きなテーブル、窓際に2人掛けのテーブル、それと小上がりの座敷席(4人掛け)。
カフェに小上がりなんてあんまりないよね、前は居酒屋さんか何かだったのかな。

まる子:あ、ウサギがいる!
マスター:うちの店長で小太郎っていうんですよ。あ、エサあげてみます?エサあげすぎでおデブになってますけど。


店長の小太郎くんサラダ うさぎ型のハム


小太郎くんにエサをあげつつ、店内を見渡すと「海難1890」と書かれた映画のポスターが見えた。

Pi-子隊長:これ、樫野崎灯台のところで起きたトルコ船難破の映画ですか?
マスター:そうなんですよ、串本町もロケに使われましてね。町内でエキストラも募集してたので参加参加したかったけどダメでした。(笑)ぼく、ガタイがよくて背も高いんで。当時の日本人はトルコ人と比べてもっと背が低かったし、この辺は豊かな土地じゃなくて、栄養状態が悪かったから、細い人が選ばれたみたいですよ。


一方、ピッキーとマコちゃんはお店に置いてあったエルトゥールル号遭難事件に関する本を読んでいた。

(エルトゥールル号遭難事件)
1890年、親善訪日使節団を乗せたトルコの軍艦エルトゥールル号は明治天皇へ表敬訪問をした後、樫野崎灯台の沖合で沈没してしまう。
その時、樫野崎灯台の灯台守は大きな爆発音を聞いたという。
しばらくして高さ60mの断崖絶壁を一人の大男がはい登ってきた。 服は破け身体は傷だらけ・・・難破だ!
それから大島 住民総出の救出が始まった。

マスター:事故現場は崖下、当時は日本人とトルコ人の体格差がかなりあったの1人のトルコ人を助けるのに、下で持ち上げる人間が2人、上で受け取る人間が2人、最低でも4人の人間が必要だったそうですよ。

犠牲者587人、生存者69人。
村人は残った69人には何としても生きて欲しいと思い、冷え切って体温が低下していた人には、服を脱いで自分の体温で温め、備蓄していた米、正月用の鶏も彼らに提供したのだった。
前述の通り、あまり豊かではない村、さらにこの年は台風が続き、不漁であったというのに。
その後、遭難から20日後、日本海軍が船を出し、生存者をオスマン帝国(当時)の首都 イスタンブールまで送り届けたのであった。

エルトゥールル号遭難事件は、トルコでは小学校の教科書に載るなど、語り継がれていたが、日本では串本町近辺以外ではあまり記憶されていなかった。

時は移って1985年。
イラン・イラク戦争最中、イラクのフセイン大統領は「今から48時間が経過したらイラン上空を飛ぶ航空機は撃ち落とす」と宣言。
各国は期限までにイラン在住の国民を救援機を出して救出していたが、日本政府は自衛隊の海外派遣不可の原則のため(当時)、航空自衛隊機は出せず、唯一国際線を運航していた日本航空(これも当時)は「航行安全の保証がされない限り臨時便は出さない」とした。
イランに滞在している215人の日本人はこのままだと戦火の中に取り残されてしまう。
しかし、日本人救出に動いた国があった。

トルコだった。

トルコ航空は、自国民救援のための旅客機1機から2機に増便し、残っていた日本人はこれに分乗。
一旦トルコへ到着した後、全員無事に日本に帰国したのだった。
2機目のトルコ航空機がテヘランの空港を出発したのは無差別攻撃のタイムリミットの75分前だった。

大将:いい話だね、こんな事があったの知らなかった。
ピッキー:なんとなくは知ってたけど、詳しい事は知らなかった。
マスター:映画は年末(2015年)公開予定なので、よかったら見てみてください。



オムライス
きらきら虹色サイダー

外に出るとすでに辺りは真っ暗。
この後は宿に戻って寝るだけ。

Pi-子隊長:明日は何時起床?
ピッキー:日の出の時間は朝の5時ぐらいだから…4時半ぐらいかな?
まる子:え…起きられたらね…。


4時半は早過ぎだから、4時50分にアラームをセット。zzzZZZ・・・


ビー ビー ビー ビー!

けたたましい警報音(これじゃないと起きられない)が鳴り、なんとか起床。
こうして最終日の4日目がスタート。

窓の外はまだ薄暗いけれど、どうやらピッキーはすでに外にいて、3脚を立ててスタンバイしているようだ。
まる子:ん〜(もぞもぞ)あ、おはよー
Pi-子隊長:あ、まる姐さん起きた?橋杭岩見に行く?
まる子:あ〜…天気も悪そうだし、日の出見られそうにもないから寝てる。
いや〜、でも天気回復するかもしれないよ。(-.-)

外に出るとピッキー1人。
Pi-子隊長:大将とマコちゃんは?
ピッキー:まだ寝てるんじゃないか?星も撮りたくて、けっこう前から来てるから分からないよ。

ご苦労様だ、まぁ、本人の趣味だから別にいいけど。

橋杭岩は海の侵食により、岩の硬い部分だけが残り、あたかも橋の杭だけが立っているように見えることからこの名がつけられたそうです。
確かにバブル時代に景気良くて橋の建設を始めてみたけど、途中で予算がなくなっちゃった…という感じに似てるかも。

こんな伝説があります。
昔、弘法大師が、天の邪鬼(あまのじゃく)と一緒に熊野を旅し、 串本を通りがかった時のこと。
(弘法大師さん、何人いたんでしょうね?と思うぐらい全国にいろんな伝説を残してますよね)
紀伊大島の人々が不便で困っていると聞いた弘法大師は、串本から紀伊大島まで橋を架けることにした。
天の邪鬼は同意するように見えたのだが、しかし そこは天の邪鬼。
2人で一つの橋を架けるのお面白くはないから、一晩でお互い別々の橋を造って、どちらが良い橋を架けられるか競い合おう、と提案。
弘法大師はこの申し出を受け入れ、橋をかけ始めたのだった。
弘法大師の作業は順調に進み、橋の杭をほとんど作り終えたが、普段から働いたことがない天の邪鬼の方はすぐに疲れて休んでしまった。
このままでは負けてしまう!と思った天の邪鬼「コケコッコ〜」と鶏の鳴きまねをして弘法大師に朝が来たと勘違いさせた。
一晩で作り終えるという約束をしていた弘法大師は(橋の建設を)諦めて、作りかけでその場を去った。
そのため、橋の杭だけが残ったという…。

弘法大師さん、困ってる人がいるんだから、最後まで橋をかけてくださいよ、という気がするけど…。(^_^;)

だんだん明るくなってきたので周囲を見ると、釣り人とカメラマンでそこそこの人数になっていた。

空がだんだんピンク色に染まってきたけど、太陽は確認できず。
お日様は厚い雲の中なのか…

撤収して出発まで寝るか〜と思ったその時…
ピッキー:岩の間から太陽が見えるぞ!
角度を変えて見てみると…発見!

太陽発見!橋杭岩の朝焼け


自分の写真は撮り終えて、ピッキーの撮影を待っている間、付近の情報を見ていると、一件の書き込みを見つけた。
Pi-子隊長:弘法大師堂から見ると橋杭岩が一直線に並んで見えるみたいだよ。
ピッキー:遠いの?
Pi-子隊長:ここから歩いて2、3分ぐらいじゃないかな。
ピッキー:じゃあ、行ってみよう。



弘法大師堂から望む橋杭岩
弘法大師堂


岩手の浄土ヶ浜を思い出した。(「たかえい」のおじさん、元気かな)
あの時は前日に大雪だったけど、今回は晴天!もはや雨女は卒業だな。

時刻は6時。だいぶ日も高くなってしまったので、宿に戻ってちょっと休憩したら出発するか。ZZZzzz…

(Pi-子)

本日のお宿 : うどん・そば はし杭(FB)




(お役立ちリンク)
Cafe La lapin
(カフェ・ラパン) 
「トルコ記念館」へ通じる遊歩道の入口に立地しており、観光に来られたらゆっくり休んでいってください。
店長の小太郎(ウサギ)が皆様を耳を長くしてお待ちしております。