銚子→佐原〜銚子ポートタワー・伊能忠敬記念館〜


本日のサンセット(高速道路にて)

島長水産側から出ると外川駅までは30秒以内で到着。
るむ:ホテルまで戻るんだよね?切符買っておくけど、何駅まで買えばいい?
Pi-子隊長:え〜と、何駅だったっけ?確か「いるか島」だったかと
まる子:いるか?
Pi-子隊長:昔はホテルの近くの浜にも来てたらしいよ、いるかが。

海豚(いるか)じゃないよ海鹿(あしか)だよ
大将:ホテルの名前「あしか荘」じゃなかったか?
ピッキー:そうだよ、駅名も「海鹿(あしか)島駅」だよ。
駅員:そうです、「海鹿(あしか)島駅」ですよ。
Pi-子隊長:そうそう、「海鹿(あしか)島」だよ。昔はホテルの近くの浜にも来てたらしいよ、あしかが。
ピッキー:「いるか」と「あしか」じゃ全然違うぞ。

「海豚(いるか)島」ならぬ「海鹿(あしか)島」まで5人分の切符を購入。
人のいる窓口で買えば硬券の切符になるところがうれしい。

鉄道の旅はここまで。
ここからはあしか荘に戻り、車に乗り換える。

ピッキー:次はどこまで?
Pi-子隊長:お昼の時間だけど、朝食食べ過ぎたせいかまだお腹へってないし、先にポートタワーへ行こうか。


お次はポートタワーに突入予定
銚子ポートタワーは県の「ふるさと千葉五ヵ年計画」の一環で建てられたもので、もともと銚子無線電信局があった場所に建てられたものである。(駐車場の一角に「無線電信創業之地」の碑がある)
高さ57.7mのツインタワー構造で、展望館からは、真下に銚子漁港、行き交う漁船の風景、利根の河口、雄大な太平洋などの景観を楽しむことが出来る。

しかしなぜわざわざ銚子ポートタワーに来たのかというと・・・
Pi-子隊長:昨日"地球が丸く見える展望館"で受付のお姉さんに「ポートタワーと一緒になっている券がお得よ」 って言われて共通券を買っちゃったから来なきゃ損というわけでさ。
という大人の事情があった。

大将:まあ、高いところからの風景は昨日いっぱい撮ったし、特にここで撮るものもないな
と言っていたのだが、上に昇るとまっさきに本物の一眼レフのレンズを構えていたことをここに記述しておこう。
雄大な銚子の海、市街が一望できるのはよいが、窓ガラスの汚れが残念であった。

銚子ポートタワー展望室展望室からの眺め

ちなみに銚子ポートタワーのお隣に「ウォッセ21」という建物がある。
銚子市の第3セクター「銚子水産観光株式会社」が9億2千万円をかけて建設した海産物の即売や銚子の特産物の紹介をしている水産物卸売りセンターで、 約15軒の海産物業者が出店している。
Pi-子隊長:ここでお土産タイムにしてもいいかな〜って思ったんだけど、外川で干物買っちゃったじゃん。 どうする?ちょっと見てく?
まる子:いいや〜、見るとお金使っちゃいそうだし。

まるちゃん、意外にも自制。

次は昼食タイム
場所は銚子駅近くにある鈴女(すずめ)
このお店、味は当然のことながら量が多いということでも評判のお店なのだ。

みんな「お腹が減ってない」と言っていた割には海鮮丼、銚子丼、三点盛り定食・・・などなど豪快に注文
どれもこれもまいう〜
そしてみんな量が多い・・・

まる子:おいしいんだけどさ、もうお腹いっぱいになってきちゃった。
るむ:うん、ボリュームがすごいね。私も・・・
Pi-子隊長:同じく。ギャル曽根になりたいよ。

当然、残った分は大将へ

フォローに走る大将
オレ(ピッキー)も少しは援護するが、あまり役に立てたわけではなく・・・ああ、こんな時に彼(マコちゃん)がいれば・・・


ほとんど「大食い選手権」です。がんばれ、大将!
鈴女(すずめ)

キアイで最後まで完食した大将だが、食後、車に乗って一言
大将:う〜む・・・なんか胃がもたれるな

大将とは長いつきあいだが、こと食事で弱音を吐いた彼を見るのははじめてである。
一山いけす、あしか荘、そして鈴女(すずめ)・・・恐るべし「食い倒れの街・銚子」である。

この後は今回の最終目的地・佐原に向かうことにした。
作戦名は「地球一周分」だ。

午後のうららかな日差し、満腹のお腹 適度な車の揺れ
この3拍子が満たされ、午睡に入る一同をうらやましげに感じながら車を走らせる運転手(オレ)

そして行き同様幸いたいした渋滞も無くほどなく佐原に到着

「北総の小江戸」と言われる昔ながらの街並み
佐原の最大の特徴は「北総の小江戸」と言われる昔ながらの街並みである。
こう書くと最初に言った「房総のむら」と同じじゃないか、と思われるかもしれない。
どこが違うのかというと「房総のむら」は昔の町並みを再現した施設・・・言わばディズニーランドのようなものだが、佐原は今も昔ながらの店舗で家業を引き継いで 営業を続けている、または実際に生活している家が多く「生きている町並み」として評価されているのだ。

江戸時代末期の商家と明治時代に建築された蔵造りが中心になっており、欧米に比べ寿命が短いとされる日本の建築物もきちんと管理すれば100年たっても十分使えるのだなと感じる。
ちなみに平成8年、関東地方で初めて国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている。

さて、佐原の偉人といえば、やはり伊能忠敬。
え・・・名前は聞いたことあるけど、何をした人かよく分からないって?
この御仁はなんと、江戸時代の中期に日本中を歩いて測量し、正確な日本地図を作製するという大事業を達成した人物なのだ。

・・・ま、やっぱり信長とか信玄みたいに戦国武将ほどの派手さはないな。

彼の偉業を学ぶべく「伊能忠敬記念館」に来館。
500円の入場料を払い、中に入ると最初に展示されていたのは伊能忠敬の地図に重なった現在の地図。
まる子:すご〜い、ほとんど誤差がないじゃん。
若干、北海道と九州の位置がずれているが、人工衛星のない時代によくこれだけ正確な地図が作れたものだ。

では伊能忠敬の足跡をたどるため、館内へ。
延享2年(1745年)1月11日、上総国山辺郡小関村(現・千葉県山武郡九十九里町小関)の名主の家で生まれ、18歳の時、佐原村(現・香取市佐原)の酒造業を営む伊能家に婿養子に入る。
以来しばらくは商人として活動する。
商人としてはかなりの才覚の持ち主であったようで、衰運に向かっていた伊能家を再興し、かなりの財産を築いたほか、佐原の役職を勤めたなどの記録が残されている。

寛政6年(1794年)12月、50歳の時に、家督を長男に譲り隠居、翌年江戸に出る。
江戸幕府の天文方・高橋至時に師事し、測量・天文観測などを修めた。
高橋至時の弟子になってからは寝る間を惜しみ天体観測や測量の勉強をしていたため「推歩先生」(推歩とは暦学のこと)という仇名で呼ばれていたそうだ。

寛政12年(1800年)、第1次測量を開始。この時、忠敬は56歳。
これは、測量家としての腕を見込まれたことのほか、忠敬が私財を投じて測量事業を行おうとしたので幕府にとっても有益だと判断されたということがあったようである。
しかし、忠敬の測量が極めて高度なものであったことから、その後徐々に幕府からの支援は増強され、国家的事業に育っていった。

さて、ここまでの説明でどうして忠敬があれだけ正確な地図を作れたのかお気づきだろうか?
Pi-子隊長:天文観測の勉強をしていたからでしょ?前にTVで見たことあるよ。
大将:すげ〜な、人間GPSだよ。


GPSとは、人工衛星を利用して自分が地球上のどこにいるのかを正確に割り出すシステムのことである。
カーナビ、最近では携帯にGPS機能が備えられている。
ちなみにGPSはグローバル・ポジショニング・システム(Global positioning system)の略で、もとは米軍が軍事目的として開発され、戦車や艦船などに搭載するためのものだった。

伊能忠敬は15年以上かけて測量を続け、歩いた距離は何と4万km!
これは地球一周に相当するんだそうだ。

ジャージャー橋こと樋橋(とよはし)
伊能忠敬記念館を出ると、橋をはさんで向かいに伊能忠敬の旧宅があるというのでそちらにも行ってみることにした。
樋橋(とよはし)という名前の小さな橋だが、ここからの川と街のマッチングした眺めがなかなかのもので撮影大会が始まる。
すると・・・

ジャー、ジャー

突然、滝のような水音が響いた。
Pi-子隊長:なんだろ〜、すごく近いんだけど、滝なんかないよね。
るむ:近いも何も・・・この橋から水が流れてるよ。


橋から川を見下ろすと、なんと自分たちの足下、橋の下から水が噴き出しているではないか!?
まる子:すご〜い。
ピッキー:おもしれ〜。


この橋、もともとは農業用水を田に送るために小野川に架けられた大きな樋(とよ)だったのだ。
その上に板を張って出来たので、その名の通り「樋橋(とよはし)」、別名もそのまんま「ジャージャー橋」
いつ出来たのか、正確なところは定かではないが、わずかな傾斜を巧みに利用した送水システムは、伊能家の者が手がけたに違いない、と地元では伝わっている。

昭和に入って水路が不要になり、普通のコンクリートの橋は架け替えられたが、市民の声が盛り上がり、平成4年の橋を架け替える際に、かつての水が落ちる橋に作り直されたのだ。

水の勢いはだんだん弱まって、雨だれのように滴り落ちると、次第に水音が止んでいった。
現在も農業用水としての役割はなく、観光用として9時から16時まで、30分間隔に落水が行われている。

橋の撮影大会が終わったところで伊能忠敬旧宅へ

忠敬は1762年(宝暦12年)に17歳で伊能家に婿養子に入り、1795年(寛政7年)50歳で江戸に出るまでこの旧宅に住んでいた。
瓦葺き平屋建てで、表の店舗と奥の母屋からなり、店舗は醸造業の倉庫を改造したもので、土間・帳場・居室・台所等がある。
旧宅の母屋は忠敬自身の設計により作ったそうだ。

伊能忠敬の旧宅 立派な門構えです昭和20年代まで伊能家の住居になっていたそうです

さぁ、これで今回のすべての作戦が終了・・・いや、まるちゃんにとってはこれが今回のメインイベントと言えよう。
Pi-子隊長:近くにけっこう有名な有名な酒造があるんだよね。行ってみる?
まる子:ふ〜ん、行ってみてもいいよ

「行きたい」と素直にいえないところがびみょ〜な乙女心というものなのだろう。(?)

他3名が反対など出来るわけもなく・・・
いや、もしも「もう遅い(4時ちょい過ぎ)からいいんじゃない?」などと言い出した、帰りの車の中でまるちゃんにボコボコにされたことだろう。

伊能忠敬旧宅から東薫酒造へは徒歩数分で到着。
文政8(1825)年創業の酒造メーカー。
舟便と水郷地帯の良質の早場米という酒造りに好適な条件のもとで酒造り一筋に歩んできたという由緒正しい酒造である。
東薫とは関東の香り高い酒という意味で、その名を裏切ることなく、芳醇な香りの大吟醸「叶」は全国新酒鑑評会10回金賞、東京国税局管内鑑評会29回金賞の他、さまざまな賞を受賞している。
見学は自由で、お酒の製造工程を見られるのだが・・・

店員:あ、すみません。見学は4時までなんですよ。
まる子:試飲はできるんですか?
店員:試飲と販売はまだ行ってますからどうぞ。

よかった。
試飲と販売が終わっていたら、帰りの車内では死者が出たかもしれない。
まるちゃんも他の隊員たちも一安心。

東薫酒造まずは一杯?いいえ、これで三杯目
まる子:おいし〜!
恍惚の表情はまさに亀梨を目の前にしたジャニーズファン
成田空港でヨンさまを出迎えるオバさまのようである。
まさにプレミアムタイム

ドライバーであるオレは試飲もさせてもらえないので、所在なく辺りを見渡していると・・・おお、ここにもワンコが。
島長水産のワンコと比べるとちょっと太り気味で寝そべっている。

るむ:ちょっとメタボだよね。
ピッキー:う〜ん、メタボだね。


東薫酒造のかんばん娘(犬)しずかちゃんちょっとメタボですねぇ・・・
ここでもワンコに遊んでいただいた。
眠そうな表情で寝そべっているもの、人見知りもせず、入り口に陣取っている姿は招き猫ならぬ招き犬のようであった。

まる子:おまたせ〜
無事まるちゃんがお酒を購入(ゲット)したころには5時近くなっており、そろそろ日没の時間を迎える頃になったのでそろそろ撤収しよう。

車に乗りながら
るむ:今日は昨日と違って1日天気がよかったね
Pi-子隊長:そうだね〜、今日だったら"地球が丸く見える展望館"からきれいな富士山と夕日が見えたかもね
まる子:しかし、今日はさすがに疲れた。文字通り日が出る頃から日が沈むまで遊んでたもんね

まるちゃんは買い物疲れじゃないと思うが、そのことは誰も口にしない。

大将:なんか常に満腹だったような気がするよ・・・
マコちゃん抜きで迎えた今回、大将1人でよくがんばった(食べるのを)

今日もめいいいっぱい活動し、全作戦を無事に遂行することができた。
久しぶりの活動ではあったが皆の健闘に感謝したい。

次なる目的地はどこになるか・・・
来るべきその日に備え、日々訓練を積んでおくこととしよう。

(ピッキー)