- アンコールワット&世界遺産


フリータイム(シェムリアップ市内)(Freetime)


危険!!地雷あり!!の看板(地雷博物館)

とうとうカンボジア最終日。
そして今日は出発までフリータイム!\(^o^)/
Pi-子:ツアー旅行って、説明つきだし、目的地まで連れって行ってくれるのはいいんだけど、ちょっと息がつまるよね。
こなつ:そお?ところで今日はどこへ行く?
Pi-子:地雷博物館行ってみたいかな。あと、お土産も買わないと。
こなつ:私はラッフルズホテルでお茶したいな〜
Pi-子:じゃ、地雷博物館→お土産→ラッフルズにしようか。


そうと決まったらさっそく出発!
外に出るとお約束で輪タク(バイクタクシー)のお兄ちゃんたち(&おいちゃん)がどっと群がってきたので、お値段&見た目 (いや、別にイケメンだとかいうわけじゃないくて、真面目そうな感じの人)で1台をチョイスし、まずは地雷博物館へ。

カンボジアへ来てから毎日行っていたアンコールワット遺跡へ続くきれいに舗装された道・・・を外れて、未舗装の狭い道へ入っていく。


バイクタクシー(疑ってすみません)
・・・ふと
「地球の○○方」に書いてあった記事を思い出す。
輪タクに乗ってるとものすごく遠方(もしくは治安の悪そうな場所)につれて行かれて高額な料金を請求された、とか
人気のないところでレイプされた、などなど・・・

Pi-子:・・・大丈夫かな?(^_^;
こなつ:大丈夫じゃない!砂ぼこりがすごくて、目も喉も痛い〜(X_X)
そうゆう心配かい!?

輪タクのドライバー:着いたよ。
なんか心配するまでもなく、ちゃんと地雷博物館に到着。
でもそこは普通のカンボジアの水田地帯で、目の前には昨日シェムリアップ湖へ行くまでに見たような掘っ立て小屋が・・・あ、これが「地雷博物館」?
「WELCOME TO THE LAND MINES MUSEUM アキラの博物館」と英語と日本で書いてある看板が出てるし間違いない。

"アキラ"というのは館長さんの名前。
「え、日本人?」と思うが、正確にはアキー・ラーさんというカンボジア人。
5歳の時クメール・ルージュ(ポルポト派)に両親を殺され、たった10歳までに銃の扱い方、地雷の設置方法、爆弾の製造方法を教えられ、(両親を殺したクメール・ルージュの)"兵士" として育てられたのだそうだ。
内戦が終わると国連平和維持軍で働き、地雷撤去の仕事をする。
中には彼自身が埋めたものもあり、今はその罪滅ぼしもかねて、1994年に国連平和維持軍が撤退してからも要請をうけると無償で地雷や不発弾の撤去を行っているだとか。

地雷博物館には彼が撤去してきたおびただしい数(数千個だか数万個!?とか)の地雷が展示されており、地雷の種類、殺傷力などの説明が手書きで書かれている。

決めポーズ! 展示してあるのは撤去した地雷・・・すごい数だ

地雷の種類は大きく分けて2つ、「対戦車地雷」と「対人地雷」。
は文字通り戦車を破壊、もしくは動きを制限させようという目的の地雷ですが、数百kgの荷重がかからないと爆発しないようになっているので人が踏んでも 爆発せず、簡単に除去されてしまうので、この除去する兵士を妨害するため、セットで「対人地雷」が埋められるのが一般的。

また、「対戦車地雷」は値段も数十万円〜と高価なのですが、「対人地雷」は安いもので300円以下(安いのは中国製という噂が・・・)なので、お手軽&お気軽にバラまかれているのです。
だからこそ、今、問題になっているのは主に「対人地雷」。

カンボジアでは、年間800人を超える死傷者が出ているのです。
確かに観光地では足がない人(たいてい物乞いをしている)をよく見かけました。
最近の地雷は殺人が目的ではなく、負傷させるが目的なんだとか
理由は死者は置き去りにされますが、負傷兵は放置しておくわけにもいかず、数人の戦力が戦闘ではなく、1人の負傷兵の為に使われることに・・・つまりは敵の効率を悪くするからなのです。

さらに、地雷は相手が兵士だけではなく、女性、老人、子供・・・被害者を選びません。
そして戦争が終わって、国が平和になっても撤去されずに残される。

まさに「悪魔の兵器」ってわけですね。(`m´#)


模擬地雷原
展示を一通り見終わると、奥には模擬地雷原コーナーがあった。
実際にこの地雷博物館がある辺りは激戦地で、たった1uに10個の地雷が埋められていたんだとか。
もちろん、ここに展示してある地雷からはすべて火薬が抜かれており安全に処理されていますが・・・
Pi-子:(土から少し顔を出した状態の地雷を見て)こんな風に埋まってたら分からないよね。実際には 完全に土に埋まってるわけだし、辺りに地雷があるから危険を知らせるドクロマークだって貼ってないわけだし。
こなつ:Pi-子、よくそこまで行けるね。私はここのは安全だって分かってるけど、それでも怖くて歩けない

確かにすごくリアルなので足がすくむ。
でも実際の地雷って、ドクロつきの地雷のマークとロープが貼ってある地帯に埋められているとは限らなくて、近所の畑だとか、森林だとか・・・自分の近く、でも分からない所 に発見しにくいように埋めてあるわけでしょ?

ちょっとめまいしてきた・・・(((@_@)

どこにあるか分からない地雷原、もしくはドクロマークの内側へ入って行って、地雷を処理する地雷博物館のアキー・ラーさん、世界にいくつあって何人いるかも分からないけど 地雷処理に携わっている団体と皆さんに敬意を表したい。

次はお土産屋さんへ・・・行く前に、もう1つここで紹介したいのが、シェムリアップにある"キリング・フィールド"
キリング・フィールドとは"The Killing Fields"まさにポル・ポト支配下のカンボジアで、大量虐殺が行われた刑場跡のこと。


"キリング・フィールド"の慰霊塔
ここで殺された人々の骨が納められている
(画像にマウスを合わせてみてね)
余談ですが、カンボジア内戦を取材したアメリカの雑誌記者の実体験を基にした同名の映画がありますが・・・私、最初"キリン・フィールド"だと思ってて 「キリンと人の心温まる交流の話なのかな」と思ってTVで見たらカンボジア内戦の話でショックを受けた記憶がちょっとだけあります。(だって子供だったんだもん)

ちょっと話がそれましたが、シェムリアップにもキリング・フィールドは存在しています。
有名なプノンペンの"トゥール・スレン刑務所"も、もとは学校だったところですが、ここも昔は学校でした。
それはポル・ポト時代に「学校教育は不要なもの」とされたので、全国各地で学校を刑務所に変えたからということです。

教師・医者・技術者・外国語ができる者などは全員"知識人=反革命分子"として次々と捕らえられ、尋問され、処刑されていったのです。
後には、クメール・ルージュの地方機関の幹部までもが「反乱の恐れあり」として殺害。
国民の3人に1人が虐殺されるという未曾有の大量大虐殺が行われたのです。

現在、ここは僧院となっており、学校だった建物の脇に作られた慰霊塔が建っています。
そしてよく見ると塔の中に無数の人骨が遺品と共に納められています。

ちなみにこの"キリング・フィールド"ですが、シェムリアップ市内からアンコールワットへ行く途中にあり・・・知らないうちにこの前を何度も往復していたのですね。
アンコールワットと違い、他の観光客の気配もなく静かな所でしたが。

冥福を祈り、慰霊塔の前で合掌した後は予定通りお土産屋さんへ。

お土産屋のお姉さん:イラッシャイマセ〜
今日は地雷博物館→キリング・フィールドと気持ち的にかなりヘヴィな所を回ってきたので、なんかホッとする。
案の定、店員のお姉さんは私たちの後ろについて、あれこれ薦めてきたが「ゆっくり見させてほしい」というあっさり引き下がった。

こなつ:この引き際のよさ、ぜひともインド人も見習ってほしいね
Pi-子:中国人もね(-_-;

会社へのまともなお土産やら、みんなへのいつものコンセプト通りの役に立たないお土産をセレクト
(注:お土産のコンセプトとは?→台湾編参照)

Pi-子の方が先にお土産を買い終え、こなつを待っているとお店のお姉さん(店員さん)が話しかけてきた。
お土産屋のお姉さん:ドウゾ、コチラニ座ッテオ待チクダサイ。
Pi-子:はぁ、どうも。


お言葉に甘えて側にあったイスに座ることにした。
お土産屋のお姉さん:お茶トお菓子モドウゾ。
すかさず接客用であるお茶とカンボジア名物(それとも東南アジア名物なのか)マンゴーとジャックフルーツの干物が出てきた。

Pi-子:あ・・・どうも。
ここで「おいしい」なんて言ってパクついたら、たいていのパターンで「ではこれも買ってください」なんて言われるんだろうな・・・なんて思っていたら
お土産屋のお姉さん:お客サン、買い物終ワリマシタネ。終ワッテルカラ、無理ニ薦メマセンヨ。
Pi-子:え・・・

なんか、心の中を読まれたみたいな(^_^;A
それにしてもなんて謙虚な

お土産屋のお姉さん:私トお話シテクダサイ。私、日本語勉強シタイデス。
そんなことだったら全然構いませんよ。
お土産屋のお姉さん:ご家族ハ何人デスカ?
ご家族・・・っていうと、今暮らしている人数だよね。

Pi-子:旦那さんと2人暮らしです。
お土産屋のお姉さん:ダンカ・・・さん?
Pi-子:いや、そんなお寺みたいなんじゃなくて・・・旦那さんってのは夫のことです。
お土産屋のお姉さん:?

そっか"旦那"とか"夫"とか普通の教科書には出てこないもんな〜。
たいていの教科書は"お父さん""お母さん"とか兄弟姉妹だからね。

お土産屋のお姉さん:お父さん、お母さんはイマスカ?
Pi-子:います、います。お父さんとお母さんとお姉さんと甥っ子と姪っ子と義理の兄・・・要はお姉さんの旦那さんがいます!
お土産屋のお姉さん:???

分からなかったみたいだ・・・っていうか、余計なこと言い過ぎた?
ごめん、意地悪するつもりは全然ないんだけど。(^o^;

Pi-子:お姉さん(店員さん)はお父さんとお母さんいますか?(←フォローのつもり)
お土産屋のお姉さん:イマセン(きっぱり)
えっと・・・全然フォローにならなかった?
それにしても「いません」なんて・・・

Pi-子:え・・・それって内戦で?
お土産屋のお姉さん:??

"内戦"の意味が分からなかったみたいでちょっと不思議そうな顔をしていた。

お土産屋のお姉さん:お父さんトお母さんハ死ンデシマイマシタガ、弟ト妹はイッパイでタイヘンデス。デモ楽シイデス。
そんなたいへんなことをさらっと・・・笑顔まで浮かべて。
クメール・ルージュが政権を掌握していた数年で、国民の三分の一にあたる約300万人が殺されたのだから両親がいないのは珍しいことでもないのだろう。

私が友達に"カンボジア"というあだ名をつけて(いや、名付けの親は私ではないが)笑いながら過ごしてた頃にこの国でなんてことが起こっていたのだろう・・・
今まで思ったことはなかったが、日本に生まれたことはとても"ラッキー"なことだったのかもしれない。

こなつ:おまちどう。お土産も全部買ったし、ラッフルズへ行こうか・・・どうしたの?
Pi-子:いや、ちょっと考え事をね・・・(-_-;


お土産屋さんを出て、あまり距離も離れていないので徒歩でラッフルズホテルまで移動するが・・・こなつちゃんがカンボジアに来て何度目かの半死人に?
Pi-子:今度は何?暑さにやられた?
こなつ:いや、暑さもあるけど、それよりも砂ぼこり!!乾期だから乾燥がすごいんだよね。どうしてこうゆう時に雨を降らせない!?
Pi-子:いや、いつだって私が雨を降らせてるわけじゃないし・・・あと、もう少しだからね。アフタヌーンティーが待ってるよ!


こなつちゃんをひきずりながら、ようやくラッフルズに到着。("ようやく"って距離じゃないと思うけどさ)
ドアボーイにドアを開けてもらって一歩足を踏み入れると・・・なんか、おおげさじゃなく別世界

さすが(シンガポールの)ラッフルズチェーンが運営する最高級のホテル
1932年に開業していたグランドホテルを全面リニューアルし、1997年に再オープンしたらしい。
高級感のあるノスタルジックな雰囲気がぷんぷん漂っていて「泊まったらいくらするんだろ」・・・なんて、余計なことを考えつつ、"The Conservatory"「温室」という名前のお店へ

予約がなくても入れるかどうか聞くとあっさり"OK"(シンガポールのラッフルズホテルでは「予約がないと無理」と言われた)
それもそのはず、中は欧米人かおそらく日本人と思われる数人がぽつり、ぽつりといるだけでかなり閑散としていた。

お席は予約もしていないというのに窓際のナイスビューなプレース(←ルー大柴風?) 窓から見えるプールとヤシの木・・・絵に描いたような"南国情緒"

店員さんは体にぴったりな民族衣装で、これまた目の保養になるかも。(*^_^*)


最後は優雅にアフタヌーンティー
アフターヌーンティーセットをオーダーすると、間もなく紅茶と3段式のトレイ(上からケーキ、スコーン、サンドイッチ)が登場。
こなつ:さすがにカンボジア、フルーツ系のケーキがおいしい!
Pi-子:紅茶もおいしいよ。
こなつ:紅茶・・・おかわりもらえるかな?
Pi-子:お湯を注いでくれるだけならもらえるんじゃない?すみませ〜ん!

店員さん:はい、何か。
Pi-子:おかわりいただけますか?
店員さん:今度はどの紅茶になさいますか?


どの紅茶に・・・ってことは茶葉ごと交換可能ってこと?
店員さん:はい、メニューお持ちしますね。
こなつ:茶葉ごと交換してくれるなんてすごいね。
Pi-子:うん、さすが最高級ホテルは違うよ!


こうして我々はカンボジア滞在の最後を優雅な時と共にしめくくったのであります。
外の喧騒とか、砂ぼこりとか、ここからそれほど離れていないところにまだ地雷が埋まってるんだろうな・・・なんてことが全部ウソみたいだ。

この後はホテルに帰ってから、シェムリアップ空港からバンコクまで一気にワープ!(フライトとも言う)
そしてバンコクでは約3時間の待ち時間が・・・
Pi-子:3時間っていうと、外に遊びに行けないな〜・・・空港の中にもマッサージ施設があるけど行ってみる?
こなつ:えっ、マッサージ!?いや、私、マッサージはいいや。


あんなにマッサージ好きのこなつちゃんが・・・
今回の旅でこなつちゃんはとんでもなく心に傷を負ったらしい(・・・と思ったけど、すぐに治ったらしい。)

(Pi-子)





"アキラの地雷博物館"のサイト。地雷の種類やアキラ氏の地雷除去活動の様子がここから見られます。カンボジアへはちょっと行けない・・・という方、行って来た方にも、もちろんオススメです。