磯釜めしでエネルギー補給をした後は北山崎の絶景を見るべく、まずは第一展望へ ピッキー:やっぱ、天気いいといいな〜 うん、昨日だったら雪で何も見えなかったかも。 第1展望台までは駐車場から平坦な道を来るので年寄り、子供、車椅子の人にもNO PROBLEM!なのだが 第2展望台までは、距離にして200m、しかも363段の階段をアップダウンしながら行かなくてはならないのだ。 カソリン:さ、じゃあ、第2展望台へ行きましょうか。 Pi-子隊長: あ、やっぱり行くんだ。階段雪で埋もれてるみたいだけど。 ピッキー:ゴアテックスの靴履いてるんだから問題ないだろ! まる子:しゃくなげ荘のご主人も第2展望台からの眺めが最高だって言ってたじゃん。 整備されている階段…のようだけど、こんだけ雪が積もってたらよく分からない。 カソリン:あ、でも足跡がありますよ、午前中に来た人もいるんじゃないですか。 ピッキー:前人の足跡を通れば楽だね。 が、やはり雪道が楽ということもなく、度々雪に埋もれながら、やっとのこと第2展望台へ到達した。
Pi-子隊長: わー、すごい絶景! 第一展望台からの眺めもよかったが、それよりも海にせり出した第2展望台からの眺めは迫力があって素晴らしい! 高さ200mの切り立った断崖が8kmも続く自然が作り出した芸術。 海面近くには波に浸食されてできた奇岩や海食洞が見えます。 Pi-子隊長: 本当はね「ざっぱ船」に乗って、海食洞や奇岩を通って海から北山崎を見る予定だったんだけどね。 地元のNPOが主催しているざっぱ船(地元の小型漁船)に乗って景勝地を巡るというクルーズ…申し込みはしていたのだけれど、悪天候のため…いい天気に見えるけれど、海は荒れているので中止という連絡があり、中止となったのでした。 もう一つ第3展望台もあったが、方向が第2展望台と違う方向だった上、駐車場からの距離も離れていたので、そこはパスして次の目的地へ。 次の目的地、宮古市田老へ…へ行く途中 ピッキー:やや、急に睡魔が襲ってきたぞ! 運転手のピッキーに問題が発生した為、急遽小休止をとることに。 ちょうど小さな港のような所にさしかかったのでそこへ停車。 ピッキー:駐禁じゃないよね? まる子:それほど遠くへ行かなければ大丈夫でしょ。 Pi-子隊長: あ、ホテル羅賀荘か。天気に問題なければ、ここからざっぱ船が出航する予定だったんだよね。
ホテル羅賀荘、2011年3月11日、東日本大震災の発生により、津波が3Fまで押し寄せ、おおきな被害を受けたものの、幸い宿泊客を全員バスで移動させ、従業員も4F以上に避難し、人的被害はなかったそうです。 震災の翌年2012年の11月にリニューアルオープン、現在も営業しています。 カソリン:そういえば「苫屋」のご主人がこの辺にある旅館の女将さんの話してませんでした? Pi-子隊長: そうそう、そこも見てみたいと思ったんだよね。場所は…(教えてもらった地図を確認)ちょっと内陸の方だね。 場所はホテル羅賀荘のある羅賀漁港より500〜600mほど内陸、三陸鉄道・田野畑駅の近くにある「本家旅館」 (回想)坂本さん:「本家旅館」っていう老舗旅館があって、そこの前の主人が1933年の三陸地震と1995年の阪神淡路大震災の惨状を見て「津波は必ず来る」って確信していて、建物の海側に石垣を積み上げたんだそうだよ、昔の日本のお城みたいにね。宮古まで行く途中に通ると思うから見ていくといいよ。 Pi-子隊長: これじゃん? 平井賀地区では、20mを超える津波が押し寄せ、この旅館の屋根まで津波のしぶきが上がったのですが、石垣のおかげで津波が砕け旅館は、辛うじて難から免れたのだとか。 石垣を築いたご主人は震災発生の3ヶ月前に亡くなっていたそうですが、残ったご家族を守ったのですね。
ここの近くにある田野畑駅は「あまちゃん」でユイちゃんの家の最寄り駅「畑野駅」として撮影された場所。 ラストシーンでアキちゃんとユイちゃんがトンネルに向かって走っていくのもここ。 「あまちゃん」でユイちゃんが電車から降りると、その先は線路が途切れていた、という衝撃的なシーンがありましたが、これも実際にあったこと。 田野畑駅〜小本駅の間にあった「島越駅」の駅舎はホームの土台、階段の一部を除き、津波に消失してしまったのです。
東日本大震災が発生した時、田野畑村では震度4と周辺の地域に比べて揺れは小さかったけれど、周辺の沿岸地域と同様に、津波が押し寄せたのです。 その勢いはすさまじく、津波の高さは27.8mまで達したのです。 田野畑村では死者23人、行方不明者16人、負傷者6人、一部損壊以上の家屋が311棟の被害が出ました。 ピッキー:ちょっとスッキリした。 運転手・ピッキーが復活したところで再び車に乗って出発! しばし県道44号線の海沿いをドライブ。 大雪の翌日の平日だからか、すれ違うのは工事用の資材を積んだダンプとか大型車ばかり。 国は海沿いにスーパー堤防を張り巡らせるつもりだそうだけど、堤防ができたら、道路から海が見えるという景色も見られなくなっちゃうんだろうな。 しばらくして田老地区に到着。 ピッキー:どこまで行くんだ? Pi-子隊長: うーん、この辺?適当に車停めてよ。 ピッキー:だから、そうゆうのちゃんと探しておけって! Pi-子隊長: だって、復興の途中だし、あんまり情報ないんだもん! 右見ても左見ても工事用車両ばかりで、停められるところが見つからずに、カーナビを見ると「たろう観光ホテル」と書かれた建物の前を通りかかった。 まる子:カーナビに表示されているから「ホテル羅賀荘」や「本家旅館」みたいに再開されいるようなホテルかと思ってたけど、鉄筋がむき出しだよ。 カソリン:ここも被害があったんですね。
たろう観光ホテルには高さ17mを超えたとも言われる津波4F部分開通まで浸水、2Fから下は鉄筋の柱を残すのみで完全に流失したのです。 旧田老町(現在は宮古市と合併)は以前から度々津波被害に襲われきた場所。 田老という地名も「津波太郎(田老)」と呼ばれていたことから由来するんだとか。 1896年の明治三陸地震(M8.5)では約1800人、1933年の昭和三陸地震(M8.1)では約900人の被害者をだし、そのような過去から、津波防災対策として1958年から1982年までに30年以上かけて、高さ10m、総延長2500mの巨大防潮堤が築かれたのです。 1960年のチリ地震の時には三陸海岸の他の地域で犠牲者が出たしましたが、堤防が功を奏して田老地区の被害は最小限に食い止められたと報道され(実際には津波の高さは約3.5mで堤防には達しなかった。) 昭和三陸津波70周年に当たる2003年、町は「災禍を繰り返さない」「津波防災の町」を宣言したのです。 しかし、2011年の東日本大震災では・・・ ピッキー:ここ、停められそうだぞ。 空き地(と思われる)所に先に1台停車した車があったので、邪魔にならないよう横に駐車。 車から降りて、すぐ横にある巨大防潮堤を見上げる。 高さ10m…進撃の巨人では50mの壁だから、それには及ばないにしても、威圧感はかなりのものだ。 おじさん:ちょっと、すみません。 私たちの横の車の人かな。 出し入れの邪魔にはならないように停めたつもりだけど、何か問題があったのかな? 工事関係車両以外は禁止とか? 「すみません、すぐに車移動させます」と言おうとしたが… おじさん:観光客の方ですか? まる子:あ…はい、そうです。 津波被害が大きかった場所だと知っているので、気軽に観光に来たというのもなんか気がひける。 おじさん:この辺、今は何もなくなっちゃって、工事車両ばかりですが、この辺前は住宅地だったんですよ。 大型トラックが行き交う、一面の平地と工事現場。 多くの人が住む住居があったとはちょっと思えない… おじさん:ワタシ、震災のガイドの仕事をしてるんですけどね… おじさんの話は続く。 田老の堤防は一つではなく、海側と陸側の二つの防潮堤が X字に交わっていたのだそうです。 明治三陸津波の15m、それより低い10mの防潮堤では街を守れない。 なので、湾口に対し直角に防潮堤を造ることで津波を沢沿いに受け流し、避難する時間を稼ぐことを目指した。 のですが、海側の防潮堤は約500メートルにわたって一瞬で倒壊し、中心部は全滅状態。地区の人口4434人のうち200人近い死者・行方不明者を出しました。 おじさん:逆に防潮堤があるという安心感からかな、逃げずに家に残っていた人もたくさんいたんですよ。…まぁ、高齢で逃げられなかった人もいるわけだけれど、それが分かっていたのだから、避難用に津波に強い高層階の鉄筋の建物を建てるべきだった。しかし、そういった施設はなく、木造の住宅ばかりだった。鉄筋の建物はほら、あそこに残っている「たろう観光ホテル」だけだ。 カソリン:こんなに高い堤防を越えちゃうぐらいすごい津波だったんですね。 おじさん:うん、すごかったよ。あそこの電柱の高さぐらい…いや、それ以上だったかな。それが…あそこの中学校見えるかな?あの辺まで行ったんだよね。 中学校、海からの距離約1kmぐらいか。
いままでいろんな話を聞いたし、映像も見てきたけれど、こうやって見ると津波の恐ろしさを改めて感じさせられる。 ピッキー:堤防の上にあがってもいいですか? おじさん:どうぞ、どうぞ、ここの雪かきにきたんですから、上がって上から見てみてください。じゃあ、ワタシはこれで。 おじさんにお礼を言って、堤防の上から景色を見てみる。 海側の堤防は破壊されてしまったというので、残っているのは陸側の堤防ということです。
右を向いても左を向いても同じような景色。 何もない広野に工事用のプレハブと車両。 津波の前には多くの住宅があり、多くの人たちが生活していたところだというのに…。 感傷的になるが、今日のミッションはまだ残っているため、車に戻って出発。 (Pi-子)
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