翌朝 ちはる:おはようございます〜! 浄土ヶ浜旅館の若女将・ちはるちゃんの笑顔と共に朝食をいただく。 カソリン:今日の予定はどんな感じですか? Pi-子隊長: 宮古駅でレンタカー返して、盛岡行って、新幹線乗って帰るだけ。でも、盛岡名物の冷麺は食べたいよね〜 まる子:この寒いのに冷麺!? ピッキー:ぴょんぴょん舎の冷麺もいいけど、じゃじゃ麺も捨てがたいな。 カソリン:わんこそばもありますよね。 朝食食べてお腹いっぱいとか言いながら、麺談義に花が咲く。 ごきげんな朝食を済ませると一旦部屋に戻り、荷造りを済ませたら出発。
いや〜、建物もサービスも「おもてなしの心」が伝わってくるいい宿でした。 館内の設計から外観や内装のデザインまで、若女将・ちはるちゃんが手がけたものなんだそうですよ。 ちはる:ありがとうございました〜! 車を発信させ、しばらくしても ちはるちゃんが手を振っていてくれたのが見えた。 カソリン:まだ手を振ってる。感動するなぁ。本当、いい女将さんになりますよ。 Pi-子隊長: いまでも十分にいい女将さんだよ。 浄土ヶ浜旅館を出発5分もしないうちに宮古駅到着。 ここでレンタカーとはお別れ、ローカル線に乗って盛岡まで向かう。
2時間15分の列車旅。 宮古〜盛岡の全区間を運転する列車は1日に4往復のみなので貴重! ピッキー:運転しなくていいから写真が撮れるぞ! 窓際独占のピッキー。 まる子:宮古を出発した時は天気いいかと思ったんだけど、なんか怪しくなってきたね。 ピッキー:いつもなら最終日は天気いいんだけどな。 Pi-子隊長: ま、でも、もう雪は降らないでしょ。 …と思ったのだが…
カソリン:あ、雪だ。 まる子:本当だ、なんか本格的になってきたよ!? ピッキー:外と車内の寒暖差で窓が曇ってきたぞ!せっかく写真撮ろうと思ったのに!! Pi-子隊長: 天気ばっかりは仕方ないよね〜 ピッキー:やっぱりパワーアップしてるな〜(泣) しかし、雪景色というのもなかなかオツなもんで、景色を見たり、ウトウトしていると盛岡に到着。 カソリン:おとといの野田村で大雪降った時は盛岡全然降ってなかったみたいですけどね。 まる子:まるで雪雲がついてきているみたいだけど…ちらっ(隊長をチラ見) Pi-子隊長: こんだけ雪が降ってるから駅の近くがいいかな。 ピッキー:駅の近くのぴょんぴょん舎は行ったことあるな、地下道を通ってすぐだった気がする。 Pi-子隊長: じゃ、ぴょんぴょん舎にするか。 天気で食事をセレクト。
店員:いらっしゃいませ〜 冷麺というから、大衆的なお店かと思ったら、高級な洋食屋かと思うようなオシャレな店内。
まる子:でも寒いから暖かいのが食べたい。雪が降ってるんだよ!? ピッキー:チヂミも美味しそうだ。 カソリン:いろいろ種類食べてみたいから、みんなでシェアしましょうか? これに異論が出るはずもなく、冷麺、温麺、チヂミなどオーダーしてみんなでシェア。 まる子:やっぱり麺がおいしいね、コシが強いけど、ツルツルしていて食べやすい。 カソリン:スープはスッキリしてますね、麺とよくあう。 Pi-子隊長: キムチと一緒に食べると辛味が増しておいしいね。 盛岡冷麺は咸興(ハムフン/現在の北朝鮮)生まれの麺職人が咸興冷麺と平壌冷麺を融合させたのが始まりと言われている。 当初はそば粉を入れた灰色の麺(平壌冷麺はそば粉入り)であったが、見た目がよくなく、盛岡市民不評だった為、そば粉ではなく、ジャガイモのでんぷんを入れることによって、現在のようなコシのある透明な麺になったのだそうだ。 「盛岡冷麺」の名称を初めて使用したのは、ぴょんぴょん舎の創業者である邊龍雄(ピョン・ヨンウン)である。 それまで盛岡では「平壌冷麺」、または単に「冷麺」と呼ばれていたのですが、この独特な麺は他県の人に「盛岡冷麺」と呼ばれているのを知り、また1986年(昭和61年)に盛岡で開かれた「日本めんサミット」でこの麺を「盛岡冷麺」として出品。 この時に高い評価を得て一躍有名になったのです。 Pi-子隊長: あ〜、おいしかった。 カソリン:新幹線の時間はまだ大丈夫なんでしたっけ? Pi-子隊長: うん、この辺ちょっとぶらっとしようか。 ピッキー:さすがに盛岡城址公園まで行く時間はないけどな。 確かにそこまでの時間はなかったので北上川の近辺をぶらり
しかし、寒かったのと雪が強くなってきたので早めに駅へ戻り、お土産なんか見ているうちに新幹線の時間となったのでした。 震災後の岩手沿岸部、岩手へ贈り物を送るつもりだったのが、やはり今回も贈り物をもらってしまったようでした。 冬の岩手、寒いけどやっぱり暖かいな。 (Pi-子)
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